
<正論>「平和主義」の偽善を排すときだ
麗澤大学特別教授 元空将・織田邦男
(産経新聞 2026/3/5)
2月24日、自民党は防衛装備品の輸出制度をより柔軟に見直す提言案をまとめた。日本の防衛装備品輸出政策は、事実上の全面禁止だった「武器輸出三原則」を2014年に見直し、国際協力や平和貢献、同盟国、同志国支援を目的とする場合に限り、条件付きで移転が可能となった。
防衛装備移転三原則を巡り
だが現行の「防衛装備移転三原則」では、完成品や殺傷能力を持つ装備の輸出は厳しく制限され、直接的な戦闘でなく、後方支援や安全確保に関わる救難・輸送・警戒・監視・掃海という「5類型」に限定されている。提言案では、この枠組みを撤廃し、より広範な装備移転を可能にするという。
この提言案は現実的で評価できる。防衛産業は防衛力そのものである。自衛隊向けの需要のみでは生産規模が小さく、技術力低下や防衛産業の撤退が止まらない。輸出は技術と雇用を守り防衛産業基盤維持・強化の有効な手段だ。
国際共同開発の観点からも首肯できる。高度で複雑かつ高価な装備開発は同志国との共同開発が主流になりつつある。日本だけが輸出できない場合、共同開発への参画は難しい。海外への装備品供与は地域の安定と抑止力強化、日本の戦略的影響力強化に繫(つな)がり、国際平和を支える手段となりうる。
今後、「平和主義」を盾に反対論が沸き上がると思われるが、現実的視点に立った議論を望みたい。武器を海外に輸出しない、自衛隊を海外に派遣しない。これが長年、平和国家の象徴とされてきた。だがこの平和主義は国際社会が協調し平和を守り、かつ創造するという冷戦後の国際理念とは大きく乖離(かいり)し、国際社会からは「一国平和主義」と揶揄(やゆ)されてきた。
1991年の湾岸戦争ではイラクのクウェート侵略に対し国際社会が立ち上がり、一致協力してイラク軍を撃退して新たな国際秩序を構築しようとした。この時、日本は「平和主義」を掲げて、汗さえ流さず金で事を済まそうとした。その結果、「小切手外交」と非難されて孤立し、日米同盟さえ漂流した。
身勝手な平和主義の制約
これに懲りた日本は、ウクライナ戦争では「力による現状変更は認めない」という国際規範を共有し、ウクライナを支援している。だが「防衛装備移転三原則」の下、防弾チョッキや車両、発電機、地雷除去機材など非殺傷兵器の提供に限定されている。連日、民間住宅や学校、発電施設などに撃ち込まれるミサイルやドローンから防護するための防空兵器さえ提供できない。無辜(むこ)の民を守るという人道的行動が、身勝手な「平和主義」によって制約を受けるという皮肉な現実がある。
この身勝手さに思い出したことがある。1993年5月、国連カンボジア暫定統治機構(UNTAC)に派遣されていた日本人文民警察官、高田晴行氏が武装勢力により殺害された。戦後初のPKO参加における死亡事案であり、撤収論が高まるのを恐れた日本政府は自治大臣(当時)をカンボジアに派遣。UNTAC特別代表であった明石康氏に対し、あろうことか日本の担当地域をより安全な地域へ変更できないか打診した。これに対し、国連側は特定国を特別扱いすることは中立性原則に抵触するとして拒否した。
当時、米国留学中だった筆者は、この日本の身勝手で非常識な振る舞いを米国の新聞で知り、怒りがこみ上げたのを思い出す。日本の部隊さえ安全であれば、他国の部隊から死者が出てもいいという身勝手さである。日本政府は自らの身勝手な醜悪さを理解しておらず、米国メディアは強く非難した。この時ほど日本人であることを恥ずかしく思ったことはない。
「逃げ口上」は許されない
この身勝手さは今も変わらない。空虚な「平和主義」に拘(こだわ)り、防空兵器の供与を拒否し、無辜の民を見殺しにする。非殺傷兵器のみを供与することが、あたかも「平和主義」であるかのように善人面を装い、自己満足に浸る。「小切手外交」やカンボジアPKOで醜態を晒(さら)した当時と何ら変わっていない。今、日本に必要なのは、「平和主義」の虚構を打ち破り、汚れ仕事は他国に任せ、自分は善人ぶって自己満足に浸るという偽善を排することである。
装備品供与に関しては、もう一つ重要な視点が忘れられている。現在は供与する側の視点しか議論されないが将来、日本は供与される側に立つこともありうる。日本有事の際、元自衛官として間違いなく言えるのは、圧倒的な武器、弾薬の不足に直面する現実だ。共同で戦っている米国も武器、弾薬の余裕はなく、米国からの供与は望めないだろう。その際、「非殺傷兵器」のみ支援してきた国が、どの面下げて「殺傷兵器」の供与を各国にお願いするのか。
時あたかも中東で戦争が勃発した。今後、中東和平や戦後処理に日本は何をなすべきか。偽善的で空虚な逃げ口上で思考停止してはならない。真の「平和主義」とは何かを現実的視点に立って考え、行動に移すことが求められる。(おりた くにお)