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真剣な怒りを無効化させる「笑い」という暴力 その罪深さを考える

(朝日新聞/小林正典 2024年11月19日)

 

 

メディア空間考 小林正典

 

 「こんなことを言ったら笑われないか」 

 そんなためらいを覚えることがある。それはインタビューでのやり取り中であったり、記者会見での質疑応答の時間であったり。自分の中の思いの「種」が芽吹いて世に出たがっているのに、このままでは自分自身でそれを押し殺してしまうといった感覚にもなる。

 その罪深さに改めて気づかされたのが、9月に日本ペンクラブが東京で開いた「構造的『差別』を沖縄から問う」がテーマの催しを取材した時だ。

 登壇者のジャーナリスト、安田浩一さんが著書「なぜ市民は〝座り込む〟のか 基地の島・沖縄の実像、戦争の記憶」を書いた理由に触れて、こう語った。「訴えたいことは一つだけ。笑うな。地域でもって真剣に怒っている人間を笑うな。腹の底から怒っている人間を笑うな」

 安田さんは、こうした怒りに対して一部のネットユーザーが、「いや、そんなマジになんなくていいから」などと笑いで応えることがあるとし、「笑うことによって、人々が今まで積み上げてきた様々な怒りや憤りを、何か無効化させてしまう。その無効化させる笑いという暴力が、僕は耐えられなかった」とも批判した。

 ここでの「笑い」とは、嘲笑や冷笑といった笑いのことだろう。「こんなことを言ったら……」と私が感じた時、そうした邪悪な笑いの視線を自分の内側に取り込んではいなかったかと反省した。

 心の中に思いが宿ったら、その「命」の勢いのまま、出るべくして世に送り出す。笑いの視線に妨害させずに。そのせめぎ合いは取材中の記者の心の中でも起きているのだが、少なくとも笑いによってその命がなかったことにだけはしたくないと思った。

こばやし・まさのり オピニオン編集部記者。学生時代、仲間と沖縄の新聞を調べ、沖縄へのフィールドワークも。初任地の青森では地方版に、沖縄との交流記「南へ」を連載。

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